どこかにありがちなショート・ショート
「僕の望みは必ず叶う」
僕はとっても、モテなくて、ツキもなくて、うだつも上がらない、「ないない３拍子」の男でした。
とにかく欲しいものは全然手に入らない。望みが強ければ強いほど、ダメ。大して欲しくもないものだったら、それ相応、手に入るというのに。
だから、本気で何かやろうとすれば必ず大失敗する、という、とても可哀相な男でした。
そんなある日の深夜、ほとんど人気のない街をぶらついていた僕は、偶然、路地裏で、不良少年たちに恐喝されているお婆さんを見かけました。
（あまり、関わり合いたくないな…）
そう思ったのが「運の尽き」。
暗がりの中、男たちに殴られ蹴られている哀れなお婆さんを横目に、こそこそと歩いてため、自分の真正面に、これまた偶然、大勢のヤクザがいたことに、全く気付かなかったのです。
どうして僕はこうも不運なのでしょう。自分からヤクザたちに思い切りぶつかってしまい、しかも、その内の一人は、僕の足に引っかかって転んでしまったのです。
僕がそうと気付いたとき、ヤクザたちは、無言ながらも、ものすごい形相で、こちらを睨みつけていました。中でも僕に転ばされた男の目は、この上なく殺気に満ち満ちていました。
もちろん僕は、我を忘れて一目散に走って逃げ出したのですが…、こともあろうに、逃げ込んだ先が不良少年たちのいる路地裏だったのです。
しかし、一番これに驚いたのが、不良少年たちの方でした。絶叫しながら猛烈な勢いで彼らに向かって行く僕。その後から、大勢のヤクザ。
少年たちは、突然、お婆さんを突き飛ばし、一目散に逃げ始めました。
ただの目撃者に過ぎなかったのが、突如追われる立場になってしまった僕にとって、最早そのようなことは、どうでもよいことです。
とにかく必死になって遁走し続けたのですが、お婆さんの倒れている場所に来たあたりで、とうとうヤクザたちに追いつかれてしまいました。
ああ、万事休す。
しかし、ヤクザたちは、どういうわけか、僕を追い越して行ってしまいました。
どうやら連中は、もう僕のことなど、どうでも良かったようで、標的を不良少年たちの方に変えたようなのでした。
「おいっ、てめぇら、こんなとこにいやがったのかっ。待てぇっ、おらぁっ！」
事情はさっぱり分りませんでしたが、とにかくヤクザと不良の大群は、互いに喚きあいながら、遠く、暗闇の彼方へと消え去って行きました。
やはり僕は、いつも通り、結局「望まないとおり」の形で助かってしまったのです。
しかも結果として、本当は関わり合いたくなかった、哀れなお婆さんまで助けてしまったのです。
さて、すこし気が落ち着いたところで、ようやくお婆さんの状態に気付きました。
血だらけになって倒れていました。
「あの、だ、大丈夫ですか？」
お婆さんは、怪我こそ酷いものの、意識はハッキリしているようでした。
「ああ、これはこれは。お陰様で命拾いしました。本当に有難う御座います」
本当は見て見ぬふりをしていた僕は、丁寧なお礼を言われて、穴があったら入りたい気持ちでした。
だから、
「いや、別に、そんな・・・」
と言ったきり、もう何も言えなくなってしまいました。
でも、恥ずかしさの余り、逆にもっと落ち着きを取り戻したようです。
うっかり肝心なことを忘れていました。僕は携帯電話を持っていたのです。
すぐに取り出し、救急車を呼びました。
「本当に何から何までお手数をおかけしますねえ」
はっきり言って、このとき僕は、このお婆さんに、何も喋ってもらいたくありませんでした。
（ああ、早く救急車が来てくれないかな）
例によって、そんな願いとは全く裏腹に、お婆さんは僕に向かって喋りつづけました。
「何かご恩返しでもしなければ」
僕は、恥ずかしさを通り越して、逆に少し腹立たしくなってしまい、こう言い返してしまいました。
「そんなことされたら、かえって迷惑です。ひどい怪我をしているんだし、お願いですから救急車が来てくれるまで黙ってて下さいよ」
すると、
「ああ、ごめんなさい。今の若い方は、押し付けがましいのを一番嫌がるんですよねえ。
でも、それでは私の気が済みません。どうしましょう・・・。
あ、そうそう、良いことを思いつきました。これならどうでしょうかねえ。
いえいえ、ほんの冗談だと思っていただければ・・・」
「はぁ・・・。どういうことですか？」
お婆さんは目を瞑りながらこう言いました。
「・・・。あなたは本当に運のないお方ですねえ」
僕はギョッとしました。このお婆さんは一体・・・。
「あははは。当たってますか？ いえいえ、別にあなたの心を読んだわけではないのですよ。
『あなたは運が悪い』と言えば、多くの方が、ご自分なりに『そういえば・・・』と思い当たるふしを、少なからずお探しになられ、何となく納得されますからねえ。
つまらない戯言だと思って下さいね」
そういう種明かしをされて、内心、少しは、ほっとしました。
お婆さんは目を閉じたまま、さらに言い続けました。
「ですから、あなたに一つ、おまじないをして差し上げます。いいですか？
今後、あなたに、どうしても叶えたい願いがあったら、必ず大声で、その望みを言って下さいね。
できるだけ大きな声で心をこめて願うのです。
その願いは、必ず叶うことでしょう」
「はぁ？ あ、そうなんですか。分かりました。あははは」
本当につまらない冗談だったので、僕は思わず吹き出してしまいました。
そうこうしている内に、救急車がやって来ました。
僕も一緒に乗り込み、病院へ搬送されるまで付き添いました。
病院には既に警察官が来ていました。僕に詳しい事情を聞きたいらしいので、お婆さんとはここで別れることになりました。
この件については、もう本当に関わり合いたくなかったので、次の日はお婆さんの見舞いに行きませんでした。
ですが、
さすがに翌々日になってみると、少しばかり心苦しさを覚えたので、たまたま仕事が早く終わったこともあり、帰りがてら、何となく病院へ向かってしまいました。
ところが、受付で聞いたところ、そのお婆さんは既に退院した、とのこと。
あんな大怪我だったのに、ちょっと不思議でしたが、結局、これで会わずに済む言い訳が心の中にできたので、これで全て忘れることに決めました。
ところで僕は、ある会社の営業マンをやっています。
自分で言うのも何ですが、僕は気が小さいし、声も小さいし、人付き合いだって苦手です。
なのに、どうして営業マンなんかになってしまったのでしょうか。
本当に何をやっても、これでもか、と言わんばかり、望みどおりにはならないものです。
こんな性格だし、何事も望み通りにならないから、もちろん仕事の成績も最低です。
あの事件があって、半年ぐらい経ったころ、でしょうか。
僕は、職場の後輩とペアになって、数社の同業者が競合している、ちょっとした大きな仕事を取りに行くこととなりました。当然、僕は後輩のサブです。
その仕事に関する下調べ、資料の作成、関係者への根回し、など、全て後輩が中心になってやりました。
僕の仕事といえば、後輩の指示どおりに手伝いをするだけです。
ところが、件のクライアントと本折衝を行う当日、後輩が急病で倒れてしまったのです。最低でも１ヶ月の入院を要するらしい、とのことです。
上司に伺いを立てたところ、
「病気なんだから仕方がない、とは言え、皆が仕事を持っているのだから、今日になって、いきなり他の人間を手配する訳にも行かない。
止むを得ないのだから、君が一人で行け。
いくらなんでも、君の方が先輩なんだろう。いい加減、少しは、こういう時こそ意地を見せてもらいたいもんだよ」
と、余計なお説教のおまけ付きで、結局、僕が一人で折衝に臨め、という指示を貰ってしまいました。
出向いた会社の受付嬢に案内された部屋には、既に３人の偉そうな人たちが座っていました。
僕は、おどおどしながら、後輩の作った資料を全員に配り、説明を始めました。
説明といっても、殆ど資料を棒読みしただけです。もうそれが僕にできる精一杯のことでした。
しばし、部屋に沈黙の空気が流れました。
やがて、口を開いたのは、３人の内、真中に座っている、一番偉そうな人でした。
「ちょっと弱いね」
たった、それだけでした。
アドリブなんて全くできない僕は無言のまま、ただただ冷や汗をかくばかりでした。どうしたらいいのか・・・。
（でも取りたい、この仕事は絶対取りたい。自分の手で取ってみたい）
何故だか分らないのですが、いきなりそんな衝動が湧いて出て来たのです。
こういうのを「キレた」というんでしょうか。
僕は突然、椅子を立ち、土下座を始めました。
そして、大きな声で、こう叫んだのです。
「お願いです。この仕事、弊社にお任せ下さい。
とにかく、この件で他社さんが弊社に敵うはずはないのです。
この資料を黙ってもう一度読んでみて下さい。
御社にとっては、絶対に弊社が一番であることが分っていただけるはずです！」
一気にそう言い終わった後、僕の心臓はドキドキと破裂せんばかりに悲鳴を上げていました。
そして、後悔しました。
僕は、何て非常識なことを。
しかし、３人の表情は、別段呆れる風でもなく、本当に黙って資料を読み直していました。
暫く経って、先ほどの真中の人が静かに、こう言いました。
「どうして、そこまで断言できるのか分りかねるが、理屈抜きにそう来られるとはねえ。
私はただ『ちょっと弱い』と言っただけなんだが。
御社の実績は、私たちもよく知っているし、何か、私たち素人には、説明を受けても分らない秘訣があるんでしょう。
分かりました。これ、ちょっと検討する時間を下さいよ」
翌週。
突然、僕は一人、上司に呼ばれました。おそらく例の件でしょう。
叱責ぐらいで済めば・・・、と思っていた僕にとって、上司の表情は、あまりにも意外でした。
「君。一体、どうやってあの仕事を取ったんだ？
先ほどクライアントから電話が来て、ウチにやり方から含めて全部任せる、と言ってきたんだ。
俺は、はっきり言って今回はもう諦めて、次の方策を考えていたところだったんだが・・・。お、おっと失礼。
とにかく、よくやったぞ。君もやればできる、ということが俺にも良く分った。これからも頑張ってくれ」
多分、上司より僕のほうが、もっと吃驚でした。
僕がしたことといえば、ただ土下座して喚き散らしただけなのに・・・。
ふと、僕は、半年前にお婆さんが言った言葉を思い出しました。
「今後、あなたに、どうしても叶えたい願いがあったら、必ず大声で、その望みを言って下さいね。
できるだけ大きな声で心をこめて願うのです。
その願いは、必ず叶うことでしょう」
まさか・・・。
（いや、あのクライアントは、僕のハッタリで、勝手に何か考えて、彼らなりに何か確信しただけのことだろう。
いやいや、もう、あのときから、ウチに振り出す事が決まっていて・・・）
僕は、ただただ、大して根拠もない推理を、頭の中でこねくり回すだけでした。
しかし、この件で、僕にも自信が出てきたことは間違いありません。
（今まで、僕は弱気すぎただけだったんだ・・・。きっとそうだ。僕は、やればできるんだ）
まるで、それを証明するかのように、以後、僕が望むことは、必ず全て、僕の手中に収るようになりました。
恥も外聞も考えず、ただ「欲しい」と、大声でハッタリをかますだけで良いのです。
どんな仕事も、成功しました。
僕の仕事は歩合の比重が大きいので、こうして成績を上げる度、僕の給料も、それに比例してどんどん上がって行きました。
そして、同じく肩書きも。
僕は、もう３０歳を過ぎていると言うのに、一度も恋人が出来たためしはありませんでした。
別に高望みをしているわけでもないのに。
ああ、そうだ。むしろ高望みをしていれば、ひょっとしたら・・・。
でも、そんなことは昔の話です。
ある日、僕の部署に一人の女の子が来ました。
部内の事務処理を担当してくれる派遣社員です。
髪が長くて、ちょっと背は低いけれど、とても綺麗な娘でした。
おっとりしているけれど、仕事は速いし、気も利いてて、男性社員だけでなく、他の女性社員ともすぐに友達になれてしまう。
僕にとっては、完璧なまでに「理想の」女性でした。
最近、ハッタリで自信過剰になっていた僕は、こともあろうに仕事中、大声で彼女にこう言ってしまったのです。
「今夜、僕と食事でもしないかい？」
一瞬、部屋がしーんとなりました。
（しまった、調子に乗りすぎたか・・・）
僕は、部屋のあちらこちらに視線を走らせました。
周囲が気になったのと、彼女の顔を見ることが出来なかったからです。
僕にとって、数秒なのか数時間なのか分らない、凍て付いた沈黙を破ったのは、意外な人の意外な言葉でした。
「はい。今日は特に予定もありませんから」
たかが自信だけで、こうも容易く、次から次へと、欲しいものが手に入るものでしょうか。
それでも僕は、お婆さんの「おまじない」のお陰、などとは信じたくありませんでした。
でも、違うのであれば、僕は「万能の人間」、ということになってしまいます。
どちらが正しいにせよ、僕は、「どうしても叶えたい願いがあったら、必ず大声で、その望みを」言いさえすれば良い人間になってしまったらしいのです。
翌年、僕は彼女と結婚しました。
その翌年、１児を授かりました。
さらにその翌年、僕は独立し、会社を興しました。
そして、その会社は、設立直後から、全く我が子と同じ勢いで、驚くほどの成長を続けていきました。
僕は、やはり「たった一声」だけで成功できる人間だったのです。
あのお婆さんの「おまじない」以来、一度たりとも、失敗らしい失敗をしでかした覚えはありませんでした。
仕事は全て大成功を収め、そして、家に帰れば、最愛の家族が、暖かく僕を待っていてくれます。
僕はとても幸せでした。
こうなれば、僕にその気さえあれば、この世の富も名声も何もかも全てが自分の手に・・・。
しかし、ある日、予想だにもしなかった出来事が起こりました。
仕事中、僕個人宛てに１本の電話がありました。
電話の主は警察でした。
「もしもし、誠に残念なお知らせですが、あなたのご家族が交通事故で亡くなられました。
至急、署までお越しください」
僕は、愛する妻と我が子の遺体と直面することになりました。
確かに、間違いはありませんでした。
その時、僕は気が動転していたのです。
僕だって人間です。事態が事態だけに、仕方がありません。
そして、もし、僕が本当に「たった一声で何でも望みを叶えられる」人間だったら、僕も、もうおしまいです。
僕は、思わず大声で泣き叫んでしまったのです。
あとほんの少しだけでも、僕が冷静であれば、
「違う。これは妻でも我が子でもない！」
とか、
「頼む。頼むから皆、息をふきかえしてくれ！」
と叫べたことでしょう。
僕が口走ってしまったのは、こうでした。
「な・・・、なんで皆・・・、死んでしまったんだ。一体どうしたらいいんだ。
もうだめだ・・・ああ、いっそのこと、僕も死んでしまいたい！」
おわり